水瓶座グラフィティ

日常にひそむ「ニヤニヤ」とか「クスクス」とかをヘラヘラしながら綴っていこうかと。

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将来僧になって結婚して欲しい

今回の題は、椎名林檎というアーティストの「丸の内サディスティック」という曲の歌詞の一部である。この曲、タイトルからしてアレなのだが、ロック調の曲の中に、いきなり「僧」という単語が混ざっているのだから、しかも「結婚して欲しい」ですって……!? と、聴くたびに仰天してしまう。こんなにインパクトの強い歌詞も、そうそうないだろう。

……なんて、この歌詞を客観的にみていられたのは遠い昔のこと。今の私には、この歌詞がやけに身に迫るものとして感じられるのである。というのも、私、今、剃髪の危機にさらされておりまして。(「剃毛」ではない。悪しからず。)まあ、平たく言えば、ちょいとそこのお嬢さん、坊さんになってみないかい? とスカウトされているわけですな。仏教連合からドラフト一位指名がかかっているわけですな。いや、「わけですな」って、そんな冷静に言えるものでもないのだが。

というのも、今私が妹と二人で住んでいる一軒家、これは元はといえば歌舞伎町の女王(おや、ここでも椎名林檎が顔をのぞかせたよ。)の持ち物だったわけであり。唐突すぎるな。説明しよう。むかーしむかし、あるところに、見目麗しき女性がひとり健気に暮らしておったそうな。彼女は歌舞伎町にお店を構えていたのだが、そのお店は、各界著名人も足繁く通うほどの超繁盛店であった。真面目な彼女はそこで稼いだお金をコツコツと貯めつづけ、あるとき都内某所に、小さいとは言え住環境のすこぶる良い彼女だけの城を構えた。彼女はその家に、数年の間ひとりで暮らしていたわけだが、ある日ふいに思い立ち、髪をおろす、つまり、剃髪して尼になることを決意したのだった。それで現在は極寒の越後の地でひとりお寺を守っている……と、なんとなく波乱万丈ザッパーン! な物語が、まあ実際あったわけであり。そしてその元歌舞伎町の女王というのが私の母親の友人であり、そのご縁で、空き家となっていたその家を、私たち姉妹に超格安で貸していただけることになったのである。

こぢんまりとした古い家とは言え、都内の一軒家である。しかも都心からもそんなに離れていない。私たち姉妹は狂喜乱舞して、さっそくその家に移り住んだ。住み心地は上々。周りは閑静な住宅街だし、小高い丘の上に建っているので日当たりも抜群だ。なによりも台所が広いのが、食い気の盛んな私には嬉しくてたまらない。ワンルームではかなわなかったソファ生活もかなえられ、すっかりご機嫌だったのも束の間。あれはまったく晴天の霹靂であった。

「お坊さんになる気、ない?」

それは母の口から出た一言であった。そのとき私は帰省中で、実家の居間で昼のワイドショーをだらだらと眺めていた。すっかり弛緩モードの私に、その言葉はあまりにも強烈であった。オボウサンニナルキナイ? その言葉が脳内でなかなか像を結ばず、「は?」と目を丸くしてしまった。

「Yさん(例の尼僧さん)のところ、子どもがいないでしょう。跡継ぎ、探してるんだって。でさ、あんた、仏像とか好きじゃない。適役かなぁって。Yさんに話してみたら大喜びでさ。もう、是非に、って。家を貸したのも、何かのご縁だからって。」

って、おい。何勝手に話進めてくれちゃってるのよ? ちょっと……えええ? いや、無理だから。仏像は好きだけど、好きだからといって、お釈迦さまと髪型をお揃いにする気はないから。それこそ、毛頭、ございませんから。

「あらあんた。髪なんて。どうせ年をとれば邪魔になってくるんだから。世の中のおばちゃんたちの頭を眺め渡してご覧なさいよ。だいたいがくるくるパーマかけてるじゃない。あれはね、一番手間のかからない髪形だからなのよ。いっそのこと、剃ってしまった方が楽よ~。」

そ、そういう問題じゃなくてさ……。ていうか私、まだおばちゃんじゃないし。年齢は立派なアラサーだけどさ、心はいつまでたっても ♪ライクアバ~ジン(ポゥ!) なわけだし……(しどろもどろ)。

「は? バージン?」

う……いや、バージンはどうでもいいんだけど……(もごもご)。ていうか、無理だから。出家する気はないから。しないから。私、そこまで世をはかなんでいないから。まだまだ俗世でやりたいこといっぱいあるから。肉も魚も大好きだしさ、け、結婚だって、いつかは、し、したいし……(ごもごも)。

「それなら大丈夫よ~。Yさんのところの宗派はすっごく自由なのよ。結婚はもちろんOKだし、肉も魚も食べ放題よ。あんたの大好きなお酒だってガブ飲みし放題。現にYさんなんて、食べ過ぎ飲み過ぎで糖尿病になっちゃってるぐらいなんだから~! アッハッハ!」

アッハッハじゃないよ……。インシュリン注射打ちながら飲み食いもはなはだしくお経あげる坊さんって、どうなのよ……。ていうか、酒につられて髪を失ってたまるか! と、ここで父登場。

「お。帰ってきたな。久しぶりの実家なんだから、のんびりして行けよ。……それで、寺を継ぐ決意は固まったのか?」

って、父よ。あなたまで何言ってくれちゃってんの。開口一番それですか。

「お前、文章とか書いてるんだろ? ブログ、読んでるぞ。」

って、この時点で泡吹いてぶっ倒れて「ちーん」と成仏しかかったのだが(だってブログが身内バレすることのいたたまれなさと言ったら……! しかもこんな恥の切り売りブログ……!)父はその後さらに「What's!?」なことを言い放ち、私を仰天させたのだった。

「執筆に専念したいという気持ちがあるのならな、普通の職場にとどまっているより、坊さんになっちゃった方が楽だぞ。坊さんが忙しいのなんて盆だけなんだから。瀬戸内寂聴のように、古寺の縁側に座して、心静かに、『ひぐらしすずりにむかひて、こころにうかびくるよしなしごとを、そこはかとなくかきつ』けて、身すぎ世すぎをしていくのも、ひとつの手なんじゃないかと、お父さんは思う。」

お、お父さんがそう思っていても、わ、私はそうは思わないよう……。もうほとんど涙目である。この両親、なぜそこまで娘を出家させたいのか。娘の髪の毛をなんだと思っているのか。

父「坊主丸儲け、って言葉知ってるか? あれほど楽なのに稼げる職業はないぞ。その上頭を丸めているだけで人々に有難がられるって、すばらしいことじゃないか。」
母「まあひとつの道だと思って考えときなさい。でもできるだけ早く決断するのよ。早めに予約しとかないと、ほかの人が取っちゃうから。」
父「早めに坊さんになってガッポガッポ稼いで、お父さんたちにいい思いをさせてくれ。」
母「そうよ、あんた大学受験に失敗して浪人したり、東京で一人暮らししたり、ものすごくお母さんたちにお金使わせたんだから、これからはじゃんじゃん稼いで親孝行してもらわないと。」
父&母「ということで、出家しなさい。南無。」

南無……。俗世の欲にまみれまくった両親の言葉を聞きながら、ああ、しかし、私自身が出家しなくても、坊さんの嫁になるっていう道もあるな。結婚した時点では一般のサラリーマンだったとしても、その後言いくるめて旦那さんを出家させるっていう手もある。ふむ、なくはないな。と、そんなことを考えてしまった私はやはり彼らの娘であり、では結婚するなら頭の形の綺麗な人と、坊主頭が似合うかどうかはすべてそこにかかっておりますからね☆ なんてことを言って、最近では男性の頭部の形ばかりを見つめている自分という存在に巣食った煩悩の数を数えているうちにいつの間にやら眠りの世界の住人となっている今日この頃である。南無。




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それともカフェオレにしますか?

原田知世のCDを聴きつつ、原田知世がCMをしているコーヒーを飲み、原田知世という存在に思いを馳せる。原田知世はナニモノなのか。原田知世は可愛すぎる。原田知世は核兵器だ。原田知世は危険すぎる。

原田知世のCDを聴きつつ、原田知世がCMをしているコーヒーを飲み、ヤマザキのまるごとバナナを頬張りながら、原田知世という存在に思いを馳せる。原田知世はナニモノなのか。何ゆえにあれほどまでに可愛いのか。本当にいったいナニモノなのか。わからない。少なくとも原田知世は、布団の上でまるごとバナナを頬張るといった所業は為さないだろう。あわてて布団から降り、すっかり陽にやけた畳の上に自身をスライドさせる。その上で、あらためて、まるごとバナナと、向き合う。お天道様が東から昇って西に沈むのと同じように、原田知世は可愛く、まるごとバナナはおいしい。

原田知世のCDを聴きつつ、原田知世がCMをしているコーヒーを飲み、ヤマザキのまるごとバナナを頬張りながら、原田知世という存在に思いを馳せる。原田知世はナニモノなのか。何ゆえにあれほどまでに透明感があるのか。本当にいったいナニモノなのか。わからない。少なくとも原田知世は、ヤマザキのまるごとバナナを体育座りの姿勢で頬張ったりはしないだろう。あわてて居住まいを正し、今度は正座の姿勢をとった上でまるごとバナナを頬張る。恵方巻きをいただくように、顔面と直角になるようにまるごとバナナを捧げもち、背筋を伸ばし、ことさらに厳かな表情で、厳かに、頬張る。今年の恵方はどちらだったか。思い出そうとしばらくうなってみたが、まったくもって思い出せない。仕方がないので、原田知世が住んでいそうな世田谷方面に顔を向け、まるごとバナナを、厳かに、頬張る。

原田知世のCDを聴きつつ、原田知世がCMをしているコーヒーを飲み、ヤマザキのまるごとバナナを頬張りながら、原田知世という存在に思いを馳せる。原田知世はナニモノなのか。何ゆえにあれほどまでに歳をとらないのか。本当にいったいナニモノなのか。わからない。少なくとも原田知世は、ヤマザキのまるごとバナナをまるごと頬張ったりはしないだろう。ナイフで丁寧に切り分けて皿の上に乗せ、フォークを使って上品にいただくだろう。あわててまるごとバナナを口から引き剥がし、まな板の上にそれを寝かせ、包丁で一口大に切り刻む。これでもかこれでもか、と切り刻む。切り刻みながら気が付いた。原田知世はそもそもまるごとバナナなど食べやしないだろうと。

お天道様が東から昇って西に沈むのと同じように、原田知世は可愛く透明感がありいつまでたっても歳をとらず、リンゴは赤くバナナが黄色いのと同じように、まるごとバナナを体育座りでまるごと頬張る私(@万年床)は、原田知世にはなれない。ブレンディがカフェオレを得意とするのと同じように、まるごとバナナはおいしい。





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全てを春の所為にして

たとえば一家団欒の茶の間にて。つけっぱなしにしていたテレビから、突如として男女の色情に関するあれやこれや、つまり、うふんあはんな桃色映像が流れてきたとしたら。六畳間の上空をゆらゆらと漂っていた和やかムードさんは一瞬のうちにトホイ国へとお帰りになり、父親はことさらに不機嫌な表情を作ってわざとらしく音を立てて新聞を広げ、母親は「お茶を汲みに……」などと言って台所へと逃避し、子どもたちはテーブルの上のせんべいなどにおもむろに手を伸ばして、バリバリボリボリと必要以上に音を立てて噛み砕いてみたりする。

割とメジャーなあるあるネタだが、こういったことは家族だけでなく、友人同士、はたまた恋人同士で過ごしているときにも、起こりうるのである。桃色テロをものともせず、平然とテレビを見続けていられる人間は、確実にマイノリティーであろう。テロ時、たいていの場合は、そこにいる全員が「ああ、この時間よ一刻も早く去れよかし」と心から祈っていることはその場の空気から歴然で、ならばそれを思い切って口に出すなどしてワハハと笑って共有してしまえば、あのなんとも言えない気まずさから脱出できるかというとそうでもない。というかそもそも共有できない。なんというか、そういった桃色的なあれやこれやというのは、ものすごく個人的な部分に属する問題であり、他人とは、絶対に最後のところで分かち合えないような気がしてしまうのだ。

ところで私はマーヴィン・ゲイの音楽が好きで非常によく聴いているのだが、彼の曲は広義から狭義まで、あらゆる種類の愛をテーマにしたものがほとんどで、そこにはもちろん男女の性愛も含まれている。ゆえに彼の曲には、結構な確率で、黒人女性の力強きあえぎボイス、というか、あえぎシャウト、とも呼ぶべき「オウイエス」だの「ヘイカモン」だのが入っているのであり、決して大音量で楽しむことのかなわない音楽に仕上がっているのだ。周囲に余計な誤解をまき散らしそうな、音楽。しかしながら好きな音楽を好きなボリュームで楽しめないのは、まったくフラストレーションのたまることである。妹と同居している私なんかは、彼女の不在を狙って、ここぞ! とばかりにマーヴィンのCDをかける。歌う。踊る。シャウトする。が、玄関に何者かの気配を感じたら、即座に音量を落として、振り乱していた髪をなでつけ、着衣の乱れを整え、さも何事もなかったかのように振舞うようにしている。それが、大人のマナー! だと思っている。

だって、姉の部屋から謎のあえぎシャウトが聴こえてきたら、妹はどう思うだろう。日々酒をあおっては「私の小指の運命の赤い糸は一体どこに繋がっているのだ。もはや小指本体すら消えかけているぜチキショー。」とクダを巻くどうしようもない姉その人の部屋から。いや、それがたとえ「彼氏できた!」と浮かれ騒いでいる時期であったとしても、隣室からあえぎシャウトが聴こえてきたら、そしてその発声源がCDなどではなく肉親本体であると勘違いしてしまったとしたら、不快感この上なきことうけあいなのだが。だが! しかし! 今は独り身であるらしい姉の部屋からそういったシャウトが聴こえてきたとしたら、さらに事態は深刻ではないか。密室で、「独りで」、全力で、あえぐ姉。妹に、不快感どころか、いらぬ恐怖感すら植え付けてしまいかねない。

妹との同居生活を円滑なものにするために、そして自分自身の名誉のために、最近ではマーヴィンの音楽は、ヘッドフォン装着の上、再生するようになった。一番の解決法がそれであったのだが、なんとなく、寂しいことではある。だがしかし、その「こっそり聴いている感」が、さらに彼の音楽を魅力的なものにしているような気がしないでもない今日この頃……。どうしようもなく個人的で、多分にいびつで、なんだか気まずくて、他人と共有することなんて思いつきもしなくて、それ故に甘美な秘密の味。秘してこそ花。隠微と淫靡。隠微による淫靡のインビテーション。(どうでも良いけど携帯電話で「インビテーション」と打とうとすると、予測変換で「淫靡で~す」と出てくる。なにこの携帯。)「一人暮らしをするようになって、思う存分AV再生を楽しめるようになったのは良いけれど、なーんか一味足りないんだよ。やっぱさ、何事も、堂々と、ってのはつまらんね。中学んとき、深夜にテレビに布団をかぶせて、さらに音量を最小に絞って親の目を盗んで心臓をバクバクさせながら見た『トゥナイト2』ほど、俺を興奮させるものは、結局、ないような気がするんだよな……。」との述懐とともに果てしなく遠い目をしていた阿呆な友人のあの瞬間の翳のある表情が、今になって強い共感を伴って鮮明に蘇ってきちゃったりするのはきっと春の所為。オウイエス。東京の桜も満開です。





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生きる

手放す、ことは難しい。でも、その不在に慌てふためくのはほんの初めだけ。ないならないで、なんとかやっていける。なくても、案外、生きていける。どんなに「ない」状態の中でも、吸って、吐いて、まばたきをして、見て、嗅いで、聴いて、声を出して、食べて、出して、寝て、起きて。肉体は、生物という存在すべてに平等に用意されている「その時」まで、決して生命活動を止めようとはしない。それはつまり、もうすでに、ここに、十分に「ある」ことの証明にはならないだろうか。だって私たちは、そのままで、十分に、生きているのだから。

あの日より前にあった世界には、もう戻ることはないかもしれない。物質に溢れた生活は、あの日を境に、確実に変質してしまった。でも、それが悪いことのようには、私には、決して、思えないのだ。

物質で心は満たせない。体が本当に求めるものが与えられて、そこではじめて、心は安らぎを得る。体と心とを結び付けて、その求める声に一心に耳を傾ける。すると、本当に必要なものは、そう幾つもないことに気が付くのだ。そして、大切なものは、決して「物質」ではないことに気が付くのだ。

私たちが今すべきことは、自分の心と体とを、ぎゅっと結び付けておくこと。心と体とが、本当に求めるものを、見極めること。その声を、聞き逃さないこと。そうすれば、次にとるべき行動は、自ずと決まってくる。

すべては循環していく。すべては「ある」。

だから、大丈夫。



大切なものが、それを本当に必要としている人々のもとに、一刻も早く届けられますよう。

月とほくろと初恋と その3

例のプリン事件から半年ほど経ったある秋の日の朝。待ちわびていた「その時」は突然訪れた。寝起きのぼんやりとした頭で、それでもいつものように、あくびをするより先に自分の身体の表面を仔細に点検し始めた私は、左二の腕側面に、昨日まではそこになかった、ポールペンの先ほどの小さな小さな茶色い点が、ポツリ所在なさげに存在しているのを発見したのだった。

早まる鼓動を抑えながら、ほくろらしき物体が現れた部分の皮膚を、そっと指先で触れてみた。微かな凹凸が感じられた。夢でも見ているような気分で、もう一度、今度は少し力をこめて、その部分を撫でてみた。それはぽろりととれてしまうこともなく、すっかりそこに根付いていた。間違いなく、ほくろだった。

びっくりした。「ひゃあ」なんて声が自然に出た。嬉しくて、動揺して、鼻の奥がむずむずした。のどが渇いた。手が震えた。力が抜けた。涙が出た。

この私にも、ついに、ほくろができたんだ……。 私はついに、「ふつう」の世界に行けるんだ……。これで、みんなに「おはよう」って言えるし、「ばいばい」も言える。メロディオンだって上手に吹けるようになるし、給食ももう怖くない。みんなと同じ、「ふつう」になれるんだ……!

かつて経験したことのないほどの興奮が、布団の上の私を包んでいた。小学校2年生の、ある秋の朝のことだった。



登校途中も、ほくろのことばかりを考えていた。それが突然消えてしまうのではないかと心配で心配で仕方がなかった。何度も服を脱いでその存在を確かめたい衝動に駆られた。ぐっとこらえて、服の上から二の腕側面を、そっと抑えたりして、いつもの通学路を急いだ。

学校に着いたら、ランドセルを背負ったまま即座にトイレにかけこみ、服をまくりあげ、それがちゃんとそこにあることを確認した。ほっと息をつき、服を直し、そのまま息を整え、もう一度服の上からほくろを撫でて、教室に向かった。

きっと、今からの私を待っているのは、輝く「ふつう」の世界だ……! 私、今日から生まれ変わるんだ……!

ほくろを左二の腕側面に付けた私は、勢いをつけて教室の扉を開けた。



……結論から言えば、まあ当然のことなのだが、ほくろひとつで生活が劇的に変わるなんてことはなかった。ほくろができた後も、相変わらず友達は少なかったし、人前では尋常じゃなく緊張したし、メロディオンはうまく吹けなかったし、ドッヂボールからは逃げ回っていたし、給食を食べ終わるのはいつも最後の方だった。



それでも。あの日、教室に入った私は、うつむかず、ちゃんと顔を上げて、ちょっとだけ姿勢をよくして、自分の席まで歩いていったのだ。「今日の私にはほくろがある。きっと、大丈夫。」と何回も何回も心の中でつぶやきながら。すると、普段よりずっと多くのクラスメイトが「おはよう」と声をかけてくれた。いつもはできるだけ目立たないように、こっそり教室に入っていたので、みんなも声をかけづらかったのだろう。さっそく表れたほくろの効果にひどく動揺しつつ、少しだけどもりながら、それでもできるだけ大きな声で「お、おはよ」と返すと、驚くべきことが起きた。「おはよ」という私の声に反応して、近くに座っていた小林君が、くるりと顔を向け、ニカッと笑って、「あ、おはよー!」と言ってくれたのだった。一瞬時が止まったように思えた。

「お、お、おっ……おはよっ」

明らかに動揺して、耳の方まで真っ赤にして返しながら、私は、自分の心が本当に待ちわびていたのは、この声と、この笑顔だったんだということに、急激に気づきつつあった。だってそのとき、本当に、心がじんわりと、言いようもなくあたたかくなったのだ。ずっと心にわだかまり続けた「ふつうができない自分」に対する苛立ちや悲しみが、そのあたたかさで、少しずつ、溶かされていくような気がしたのだ。



ほくろへの憧れは、小林君への憧れそのものだった。しかし、コンプレックスの塊のような暗い私の心は、小林君への憧れを、そのまま、ほくろへの憧れにすり変えてしまったのだった。ほくろへの憧れという仮面をつけた私の幼い恋心は、その仮面ゆえに、本人すら気づくことができないほどに、小さく、淡いものであった。しかし、それでも、私を一歩、光の差す暖かい場所へと進ませてくれた。

私、クラスのみんなと、そして大好きな憧れの子と、「おはよう」を言い交わすことが、できた。ずっとしたかった「ふつう」が、ひとつ、できた。私にも、できた。

席に着いて、ランドセルを机に置いた私は、なんだかすっかり満たされてしまっている自分に気がついた。頬が、緩んでいた。椅子に体を預けると、そのまま一気に全身の力が抜けた。

「きっと、もう、大丈夫。私は、大丈夫。」

自然に、そう思えたのだった。思った次の瞬間には、眠気すら感じるほどの、どっしりとした安堵感に包まれていた。全身をだらり椅子に預けながら、首だけ動かしてそっと眺め渡した教室は、秋の陽が差し込んで、白く、粉っぽく、目映いほどに明るかった。クラスメイトの笑い声が、遠く、やさしかった。

思えばあの時、私は、生まれて初めて、自分を「ふつう」の世界に受け入れる覚悟ができたのだと思う。「できる」も「できない」も、「できる他人」も「できない自分」も、すべてをひっくるめて、飲み込んで、ただただそこにある「ふつう」の世界。そして、その世界は、やさしかった。

体をもたれさせたまま、もう一度だけ、そっと、ゆっくりと左二の腕を撫でた私は、そのまましばらく、と言ってもほんの数秒の間だったとは思うが、眠りの世界に体を預けていた。次に目を開けたとき、ほくろのことは、すっかり忘れてしまっていた。



小林君とは、結局その後も、挨拶ぐらいしか交わさなかった。それでも私は満足だった。それで十分だった。彼とは、私が遠くの街に転校して以来、一度も顔を合わせていない。元気に、しているだろうか。






変化は、ある日突然起こるように見えて、実は、毎日、毎時間、毎分、毎秒、少しずつ、でも確実に、進行しているのだ。変化にはできるだけ敏感でありたいとは思っているが、毎日、毎秒の微細な変化にいちいち反応していたら、生活もままならない。それに、「突然」のように見えるから、そこに、いろいろな種類の感動が生まれるのだ。泣いたり、驚いたり、呆れたり、怒ったり、笑ったり、幸せになったり、できるのだ。

でも、本当は、心の奥底で私たちは気づいている。すべては自分の中に起こりつつあったことだということを。「突然」何かが起こるわけでなく、すべては自分の中で少しずつ起こっていたことで、それが、ようやく目に見える形になっただけだということを。そしてそのことに気づいたとき、私たちは、より深く心を動かされ、その変化を、しっかりと受け入れて、前に進んでいくことができるのだ。刻んで、生きていくことができるのだ。



……ということで、まずは私はお月様のように丸くなった自分の顔を、もっと言えばいつの間にやらしっかりと脂肪を溜め込んだ自分の肉体を、日々、麦酒を大量摂取し続けることによって起こる微細な変化の積み重ねの成れの果てとして、しっかりと受け入れることから減量を始めたいと思う。頑張ります……。






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プロフィール

こひでやふこ

Author:こひでやふこ
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田舎生まれ田舎育ちの20代。
現在は東京23区のはずれ在住。
お酒とお笑いが大好物。
毒舌なようでいてそうでもない。
ただ、若干、ひねくれ者。
コメント・リンク大歓迎です。

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